浅間神社(台町2) [戻る]
浅間神社例祭のご案内
浅間神社は木花咲耶姫を祭神とし富士浅間様と言い慶長年間徳川幕府
創立のころの関東総代官で当時今の小門町に居住していた大久保石見
守長安が駿河国浅間神社を分社し現在の地に高さ約二丈周囲六十間余
の塚を築き頂上に浅間神社を勧請したのが起源となっております。
宝永年間社殿が破壊に及び延享二年改めて石造りの社殿を再建したの
が現在の本殿であり、天明元年には石の階段が造られ現在の拝殿は昭
和二十四年に大正殿の払い下げを受けて造営されました。
浅間神社は初め雄大に火を噴く富士山を紙として崇拝する社でした。後
に前述のように、木花咲耶姫を祭神としました。姫は天孫瓊瓊杵尊のお妃
で大層美しかった。一夜で身ごもり尊に疑われ身の潔白と御子の強さを
証明するため火の中の産室で三人の御子を安産しました。安産の神とし
て火山富士山の祭神として浅間神社に祀られました。昔より当夜売られ
る団子は、暑気除けとして有名です。
古い歴史を持つ神社は、今台町一、二、三、四丁目及び万町二丁目に
より氏神様として、お護りされております。 以上
(神社前の説明板より)
説明の「例祭のご案内」は、わずかに団子について触れているだけで、
実際には「由緒書き」という内容になっている。
なお、例祭は7月31日から8月1にかけて行われる。
浅間神社の拝殿は、大正天皇の葬儀に使われた祭場殿を下賜されて、
昭和二年十二月十五日に富士森公園内に移築、昭和二十八年、浅間
神社の拝殿として再移築された。
拝殿の後にあるのが、大久保長安が築いたという富士塚。
もともとは、この富士塚に浅間神社を勧請していたが、後に払い下げら
れた大正殿を拝殿として移築し、現在の浅間神社になっている。
そのため、本殿と拝殿の間に2つの石鳥居が建つという、神社としては
例を見ない形になっていて、石段を上り本殿に直接参拝することができ
る。
本殿には木花咲耶姫の石像が祀られている。