八王子の景色   声阿弥稲荷大明神                                [戻る]



大横町の寶珠寺の隣に建つ、大型の稲荷社。
赤く塗った屋根と青空のコントラストは強烈に目立つ。

新編武蔵風土記稿の横町、寶樹寺の項に記載がある。

聲阿弥稲荷社
本堂の南にあり、二間に三間、寛文四年十一月遊行四十一世
勧請せり。
(植田孟縉著 蘆田伊人校訂『新編武蔵風土記稿』

また、こんな記事を見つけた。

声阿弥稲荷(大横町)
寛文4年(1664)、藤沢遊行寺の独朗上人が修行中、この地で
死去、声阿弥陀仏を祀ってほしいとの遺言により遊行寺が創建
したという。管理は遊行寺で開帳は行われていない。
商売繁盛、火防信仰。

(平成20年度市民自由講座『八王子の神社仏閣~知っておき
たい縁起や歴史~ 相原悦男氏講演資料より』

手前の、奉納されたお椀がたくさん下っているのは瘡守稲荷。


八王子の近代史に詳しい沼謙吉氏の文章である。

機屋の誕生
八王子の大横町に、十六号線に面して宝樹寺という時宗の寺がある。
かつてお十夜で知られた大善寺の隣りでこじんまりした寺である。
その境内に声阿弥稲荷社が同居している。寺と稲荷社とのとりあわせ
は寄好な感じがするが、神仏混淆のあらわれである。
寛文二年(一六六二)に建立され、後焼失して天保十一年(一八四〇)
に再建された。だいぶ傷んではいるが時折り参詣人がみえるという。
その神社に向かって左側(注:右側が正しい)に一米半ばかりの石碑
があり、正一位声阿弥稲荷大明神と太く刻まれている。安政三年(一
八五六)二月に建てられたもので、願主機屋安二郎 忰尾崎屋栄辰
と刻まれている。安政とともに機屋という文字が印象的である。

(沼謙吉『八王子織物の歴史 第三回』より)

実は、この石柱に書かれた文字がどうしても読めなかったのだが、
沼氏の文章を拝見して、正一位声阿弥稲荷大明神」だということ
がわかった次第である。