桜木天王宮 [戻る]
弐分方町の「由井牧址」碑近くに桜木天王宮と書かれた小祠がある。
覆屋には、桜木天王宮の謂れを手書きで記した板が掲げられている。
謂れ
当地に住む齢者よりの言傳へに依ると明治の頃元八王子一帯と川口村
秋川方面に赤痢病が流行し当時は医学も乏しい時代で赤痢病で死者多数
出て弐分方でも三名の者が赤痢病で亡くなったと聞く 其の頃此の辺一帯
は見渡す限り畠なり 弐分方の有志に依り八坂神社天王宮にこの広い当地
に櫻木天王宮として神官に依り祀られ広い地域一帯の疫病を拂い除けても
らい安泰に成り以来庚申様と並んで祀られ毎年八月一日に神官に依りて
お湯花式が行われます
庚申様の由来も此々に二つの石碑が有り一碑は庚申塔天明四年辰年十月
四日 一碑は冠あり上に太陽と月が並であり見猿聞か猿話をし猿の三猿が
彫られて立派な石碑であり(かのえさる)様は事業の事や其の他何事にも
お願いを道案内していただける神様で多くの人が信仰されておられます
両方のお宮の外宮が坂本勲氏 市川英夫氏の器用な手腕に依って立派に
出来て有難く参拝出来ます
平成十年九月吉日 坂本弥一 八十五才記
赤痢病の難を逃れるために、明治時代に祀られたという桜木天王宮。
八坂神社との関連が伝えられていることから、「天王」は牛頭天王を指し、
疫病の流行を鎮めることを願ったものであろう。