大谷弁財天 [戻る]
弁天池の静かな水面に赤い社殿が映る。
冬枯れの森を背景にすると、より印象が強くなる。
小宮公園の山から流れる清水が大谷弁天池となり、そこに浮かぶ
ように見えるのが大谷弁財天。
赤と黒に塗り分けられた社殿はきりっと引き締まった姿をしている。
弁財天は水に関係のある神様であることから、
池の中の島に社殿が建つことが多い。
池の周囲は歩いて一周することができる小径がある。
大谷弁財天・弁天池の由来
ここは昔、武蔵国多摩郡太谷村と云い、付近に杉の大木が茂っていた
ことから大杉谷戸といわれていました。
元文三年(一七三八年)この土地の人々が、池のほとりに石殿を建て、
弁財天を勧請し、五穀豊穣と生活の安寧を祈願したものと思われ、その石
殿に「大谷村日待講中」の名と年号が刻まれたものが保存されています。
また、天明の飢饉(一七八二年)のときに、ここを知行していた八王子千人
同心の荻原氏が水田灌漑各確保のために、溜池を掘り、そこに弁財天を
祀ったとも云い伝えられています。
その後、寛政五年(一七九三年)「大谷村講中」の手によって再び石殿が
建てられ、これも元文三年のものとともに新社殿に安置されています。
このたび、、多くのかたがたの貴重な浄財によって新社殿が完成しました。
まつられている弁財天には、昔日その縁日に近郷近在から多くの参拝者
が訪れ、賑わいを見せたものです。
平成二十年七月吉日 大谷弁財天社殿再建委員会
(大谷弁財天社殿再建委員会の説明板より一部省略して記載)