八王子の景色   御嶽神社(下柚木)                           [戻る]



松木台・大石屋敷のサルスベリを見に行く途中に立寄った。
野猿街道から少し登った辺りかと思っていたが、さにあらず。
酷暑の中を自転車では登りきれない程の急坂を登り詰めた
先にようやく鳥居が見えてくるという場所。
野猿街道からの比高は相当あるのだろう。

社殿は境内の一段高い場所にあり、社誌が掛けられている。

御嶽神社 由緒沿革
当社は瀧山城武相十郡領主大石遠江守が瀧山城鎮守
(又は一説に瀧山城下の部落鍛冶谷戸にある御嶽神社)
の一体をここに移設せるものにして、棟札に天文二年三月
二日とあり、これ創立の棟札なるべし。
(一部修正し掲載)

この御嶽神社は滝山城との関係があるという。
滝山城は大石定重が築いた城と言われ、この御嶽神社の
東隣にある永林寺は大石氏の居館とも言われている。
大石定久は猿丸峠で切腹したと伝わるが、実はこの神社が
建つ地であったのではないだろうか・・・。
境内の「猿丸山」という小社を見て、そんな思いが浮かんだ。








急坂の上、2段に削平された境内と急な法面。
境内下は谷戸の谷が落ちているが、そこにも段状の削平地
が見られる。
神社裏手は住宅地になっているが急崖の地形が残っている。
これらを考え併せると、中世武士の居館跡のように思える。

東側に隣接するのは永林寺であり、大石氏の居館跡があった
と伝わる場所。
すると、この御嶽神社の境内地も大石氏やその家臣の居館
や砦として使われていたのでは・・・?。
などと想像が膨らんでしまう。