八王子の景色   熊野神社(宇津貫町)                                   [戻る]

宇津貫「熊野神社」の由来
熊野神社に関する記録はあまり多く残されておりませんが、「新編武蔵風土記稿」
によると同地は「第六天社」として紹介されています。
境内には、寛延四(一七五一)年に建てられた各石塔や明和二(一七六五)年に
造られた狛犬の像があります。これらにはいずれも「奉納大六天」の文字が刻ま
れており、この頃すでに第六天社があったことがうかがわれます。
また、神社の宝物として今に伝わる麻布の幟には、寛政十二(一八〇〇)年二月
「奉納赤山大明神 御宝前 村中子ども安全」と記されており、「第六天社」と同時に
「赤山大明神」も合祀されていたことが分かります。
神社の古文書が収納されている箱の表書きには「第六天」「赤山大権現」と並び
「熊野大権現」「津島牛頭天王宮」との記載があります。現在の神殿に掲げられた
「熊野宮」という扁額の裏には「于時 文政八(一八二五)乙酉年七月吉日 氏子中」
と記されています。
熊野の神と牛頭天王は共にスサノヲノミコト(素戔鳴命)のことであることから、こ
の文政年間に共に祭祀されたものと思われます。
これらから当神社は、江戸時代中期頃「第六天社」と「赤山大権現」を祭祀し創建
された後、江戸時代末の文政年間に「熊野宮」と「牛頭天王社」を合祀し、以後
「熊野神社」と総称しているものと思われます。
拝殿は、古文書によると安政三(一八五六)年から文久元年(一八六一)にかけて
改修・遷宮が行われたものと推察されます。
    平成十五年六月十五日 
                        宇津貫熊野神社社殿修復式典記念
                        宇津貫熊野神社氏子・役員一同




境内にある神社の説明は、かなりの長文である。

宇津貫熊野神社の周囲は八王子みなみ野ニュータウンができたことにより、様相
がすっかり変わってしまった。

かつて、この付近を通る横浜線の車窓から見る宇津貫の辺りは、小高い山の裾に
畑が広がり、家が点在している風景であった。
しかし、今は真新しい住宅が整然と立ち並ぶ近代的な街へと変貌を遂げてしまい、
以前の風景を探すことが難しくなってしまった。

そんな中で、この場所は、かつての農村の里山にたたずむ鎮守の森の雰囲気を
いくらかとどめているといえよう。

石の鳥居を潜り、参道の階段を上るにつれて、神域らしい澄んだ空気に包まれる。
拝殿の前に見える小さな狛犬は、一興を添えている。

参道の階段の横に立つ「ラッパイチョウ」は、大変珍しい樹だという。