熊野神社(東浅川町) [戻る]
京王線高尾駅のホームから東北方向に見えるこんもりとした森。
これが熊野神社の森。
甲州街道から境内に入ると、瓦葺きの覆屋の壁に由緒書きが
掲げられている。
創建の年代は詳らかでない。その昔諸国行脚の老夫婦がこの地
に紀州(和歌山県)の熊野本宮大社を奉斎したとの伝説がある。
古文書に(現存せず)応安(一三六八)の頃片倉城主毛利備中守
師親が創建したとも言われている。
天正元年北条陸奥守氏照再建し、その後十回の修改築を行って
いる。
例祭(毎年八月)には市無形文化財獅子舞が奉納され、湯花の
神事を行う。
片倉城主は大江姓毛利氏ではなく、大江姓長井氏であろうか。
「応安の頃」は、足利義満が将軍に就任した時代であり、室町時
代が安定期へと向かっていた時期にあたる。
そして、戦国時代の領主、北条氏照が神社を再建する。
覆屋の中に鎮座する本殿。
手前に置かれている獅子頭は、氷川神社に奉納される獅子舞に
使われるもの。
北条氏照は笛の名手であり、獅子舞も好んでいたといい、
狭間の御嶽神社に獅子頭を下し、領民は獅子舞を舞ったという。
狭間の獅子舞から分かれたのが、この氷川神社の獅子舞。
熊野神社境内には、氏照家臣縁の「縁結びの木」もある。