八王子の景色   金毘羅社(滝山城跡本丸)                       [戻る]



金毘羅社再建之碑
国指定史跡滝山城本丸櫓台に鎮座する金毘羅社は、今を去る二百年余り前
天明(一七八一〜)年代に滝村持ちで造営されたと武蔵風土記稿に記載され
ています。江戸時代から本丸一帯は、麓の滝村(現八王子市高月町滝地区)
持ちで年貢の免除地として受け継がれており(地区の氏神駒形神社境外地)
滝の城山とも呼ばれ、広く滝山城の名を後世に伝えております。
戦国の乱世は去り、当時滝村では広い水田の米、豊富な薪炭、川魚を産物
とし豊かな村として栄え、多摩川の漁場は御本丸御用地に指定され、将軍の
鮎の献上を行ったと記録されています。農閑期には多摩川、秋川が合流する
地の利を生かして、江戸の繁栄に伴う需要増から森林材の中継地として、材
木筏を組み物資を乗せて多摩川を下り、江戸への輸送を材ぐるみで生業とし、
その成果は拝島、熊川へ農地を拡大して栄えて来ました。
江戸文化華やかなりし頃、村人たちが水運の安全と事業の繁栄を願って、多
摩川を一望できる当所に海運(開運)の神様として名高い金毘羅様を祀ったの
であります。以来、農業、殖産に家内安全、無病息災などの願いごとを叶えて
下さる神様として近郷近在より多くの信者が参詣して賑わいを見せていたと語
り継がれています。
地域の文化、産業の発展に多大な貢献をした先祖の残した貴重な遺産であり、
八王子市の名所都立滝山公園内にある「神社」として、文化、経済の発展と
無病息災、永遠の平和を祈願し、金毘羅社の氏子、加住地区有志の御奉賛
により創建二百年事業として社殿の再建を行いました。
    平成六年三月吉日
                              金毘羅社再建委員会





滝山城跡の本丸には2つの神社が鎮座するが、南側の霞神社は
加住村持ち、北側の金毘羅社は滝村持ちとなっている。

金毘羅社の由来は社殿の横に建つ金毘羅社再建の碑(上記)に書いてある。
当時、世界最大の都市「江戸」の生活を支える一端として、滝山城下に流れる
多摩川の水運を利用して材木などの物資の中継地として滝村は栄え、水運業
の安全を祈願するために、水運の神とされる金毘羅様を、多摩川を見下ろすこ
場所に勧請したのだという。

現在では、水運としての多摩川の利用はなくなってしまったが、この金毘羅社
の境内は、滝地区の人達の手によって、定期的に草刈りや掃除がされている。