八王子の景色   十二社                                    [戻る]



東浅川町・興福寺の東の小高い丘の上に鎮座する十二社。
一風変わった神社名は、十二柱の御祭神を祀ることに由来する。

十二社
鎮座地 八王子市東浅川町六五六
御祭神 天神七代地神五代
(天神・地神名の列記は割愛)
天神七代とは日本神話で地神五代の前にわが国を治めたといわれる天つ神七代の
総称 地神五代(くにつかみ)は人皇第一代神武天皇に先立つ神々である

由緒
慶安二年(一六四九)九月十九日 代官設楽源右衛門及弟権兵衛により創建された
明治三年三月十九日 十二社大権現の社名を十二社に改称した
明治二十九年 社殿を改築する
昭和二十年八月二日 戦火(八王子空襲)のため社殿をことごとく焼失した
現在の社殿は長房町(旧舟田)の東京陸軍幼年学校校内に奉斎せる雄健神社の社
殿を奉遷鎮座し奥殿となした
昭和三十八年十月六日 社殿拝殿を新築する
昭和五十四年 拝殿北側の山林を造成境内広場を造る
平成六年 社殿拝殿及石段の改修を行う

境内社として稲荷社日吉山王大権現社牛頭天王社高宰神社が祀られている
境内面積 一〇八七坪





境内にある由諸書きには上記の説明がされているが、その裏面を見ると、太平洋
戦争末期の悲惨な経験と、その関係者による慰霊の営みが記録されている。


東京陸軍幼年学校は昭和十九年三月都内新宿区戸山台より八王子に移転した 
校地は当十二社の北方長房地区東西に延びる稜線上約十万坪に及んだ 第四十
六期生から第四十九期生までがこの校に学んだ 陸軍幼年学校は中学一年又は
二年終了の志願者の中から選抜され陸軍士官学校入校に先立ち三年間将校生
徒を教育する学校で約八百七十名の少年が日夜文武の修養につとめた

昭和二十年八月二日未明 八王子空襲により校舎全焼 それに続き終戦 学校は
解散 焼失を免れた雄健神社は御神体を奉遷したが社殿は夏草の中に残され夢
の跡となった 戦後五十年になろうとする平成元年東京陸軍幼年学校関係者が空
襲による戦没者慰霊祭を長房町東照寺において毎年営んでおることを耳にされた
当十二社総代はわざわざ東照寺に足を運ばれて雄健神社の社殿が当十二社の
奥殿として奉祀されていることを報ぜられた

私どもはその奇縁に感じ入り今日までのご奉斎に感謝し社前の縁起を記録する
板碑の修復につき微力を呈したいとお願いしたところご聴許を得たので裏面を藉
りていさゝか由来を誌す
  平成五年春
     東京陸軍幼年学校 第四十六、七、八、九期生






拝殿の奥に、雄健神社から奉遷された奥社がある。