八王子の景色   浄福寺 観音堂                                          [戻る]



枝垂れ桜で知られる下恩方町・浄福寺の境内から三十三観音が
並ぶ山道を上り、急傾斜の石段の先には真っ赤な観音堂がある。

観音堂
本堂の西三百間許にあり、三間半四方の堂にて、千手観音長二尺
三寸なるを安す、行基菩薩の作なりと云伝ふ、木像にして彩色を
用いず、いと古色なり、即前にしるせる観音堂の昔の本尊なるべし、
(林述斎編 蘆田伊人校訂『新編武蔵風土記稿』)

この観音堂の古い棟札には、「
大檀那大石源左衛門入道道俊幷
子息憲重
」の記載があると、新編武蔵風土記稿に書かれている。

観音堂がある浄福寺裏山は浄福寺城があったとされ、築城時期は
室町時代から戦国時代にかけてであろう。

そして、この観音堂がある場所も浄福寺城の城域の一部であった
ことは、周囲の地形によって確認できる。







この観音堂は、現在の浄福寺城跡の本丸がある山頂にあり、その
中には千手観音像を納めた厨子が納められていた。

いつの頃か、観音堂はこの場所に下ろされた。
そして、時期は不明だが、観音堂内に祀られていた厨子は浄福寺の
本堂内に移されている。

厨子は東京都指定有形文化財に指定され、本堂の中で拝見できるが、
千手観音像は非公開となっている。

観音堂は、方形の屋根を支える4本の柱がかなり太いことに気づく。















堂内を覗くとブロンズの聖観音像が安置されている。

堂を支える柱がしっかりしていることがわかる。