八王子の景色   市守神社                                  [戻る]



子供の頃、「お酉様」に親に連れられて来た。境内の両側に
並ぶ熊手を売る露店の威勢や賑やかさを覚えている。


市指定史跡  市守神社
    所在地    八王子市横山町二十五番三号
    指定年月日 昭和三十一年七月二十八日
天正十八年(一五九〇)の八王子城落城後、八王子の町は現
在地に移され、横山宿では四の日、八日市宿では八の日に市
が開かれ賑わった。そこで、市の取引きの平穏無事を守り、
人々に幸せを与える守護神として「倉稲魂命」を祀り創建され、
横山市守稲荷と呼ばれた。現在でも毎月二月の初午の日には
「市守祭」と呼ばれる例祭がおこなわれている。また、江戸時代
中期になって「天日鷲命」が配祀され、毎年十一月の酉の日に
商売繁盛を祈願する「大鷲祭」がおこなわれ、現在でも「お酉さ
ま」や「酉の市」と称されて賑わっている。
  平成二十年一月三十一日      
                       八王子市教育委員会
(八王子市教育委員会の解説板より)












天正10年の小田原攻めの際、石垣山一夜城で「連れション」を
しながら、小田原城を見下ろしてこう語ったとか。
「家康どのに、この関東を進ぜよう。」
まあ、体よく家康を大阪から遠く離れた関東に追い払ったのだが、
そこはさすがにしたたかな家康。

江戸城を居城とすると、城下町・江戸の町つくりに着手する。
同時に、脅威であった豊臣方が江戸へ攻め込んで来るのを阻止
するために、甲州方面に対しては八王子の町を素守備の最前線
と決め、配下の大久保長安に命じて、落城後の荒廃した八王子
城下の横山・八日市・八幡の町を現在の地に移転させる。
(この時に八王子城下の警備を命じたのが千人同心の始まり)

横山宿では4の付く日に、八日市宿では8の付く日と月6回の市
を開き、その市の無事と発展を願い市守神社が創建された。

以来400年以上も八王子の街の発展を見守ってきた市守神社。
拡大の一途を辿ってきた八王子だが、ここ最近の活気が失われ
た状況はどう映っているのだろう。