日吉神社(日吉町) [戻る]
日吉神社は日吉町の町名の由来であるという。
日吉八王子社
社伝によると天慶3年(940)創建。文禄4年(1595)修験の
島之坊俊盛が再興した。江戸時代は八王子神社と呼ばれ、
この地は八王子十五宿の一つで島之坊宿といい、本山修験
のまちであった。境内には浅川の鮎を供養した鮎塚が、
昭和32年に築かれている。
(八王子市教育委員会の案内板より)
江戸時代の地誌「武蔵名勝図会」は「八王子神社」として解説
している。
八王子神社
村の中程にて南側。本社東向。社地入口に木華表あり。中古
以来衰微し、社頭破壊に及ぶ。伝云島之坊が先祖俊盛という
者、文禄四年この地に八王子明神を勧請し、由井領の総鎮守
となすと云。再興の無名札あり。
(植田孟縉書 片山迪夫校訂「武蔵名勝図会」 )
修験の町であったというこの地域は、豊臣秀吉の北条攻めに
際し、城主氏照から八王子城の守備に付くようにとの要請に
応えて修験者を送り込んだという。
天水桶の「三つ鱗」の紋は、後北条氏との関連を示すのか。