白山神社 本殿(廿里町) [戻る]
山麓の遥拝殿から急坂の山道を5分程登ると、白山神社本殿に
着く。
道の途中に数ヶ所の石段が造られているので、危険はないが、
人と出会うことのない参道はなんとなく嫌な感じがある。
子供のころに何度も歩いた道だが、あらためてこの道を歩くと、
「ああ、こんな感じだった」と当時の記憶がよみがえったりす。
この日は真夏だったので、汗をかきながら登っていった。
本殿の前に出る最後の石段を登り切ると、キジに出会った。
相変わらず、豊かな自然は残っていると見える。
白山権現
ここより下長房村なり。御朱印十四石一斗余。別当新義真言高
尾山薬王院末良広山安楽寺。神躰木立像。本地十一面観音。
例祭九月廿九日。下長房村の産土神なり。本社、上屋。拝殿。
木華表あり。社地は山上にあり。社木松杉。別当所は山麓にあり。
古棟札二枚あり。他に享禄二年(一五二九)の銘ありて、その余
は読みがたきもあり。
(植田孟縉「武蔵名勝図会」(片山迪夫校訂 )より)
武蔵名勝図絵には、白山神社の棟札2枚の絵が描かれている。
その絵によると、『大檀那大石氏源左衛門尉綱周』が天文22年
(1552)に白山神社の修理を行ったとの記載が見られる。
大石綱周は、大石道俊の後継者で、北条藤菊丸(後の氏照)を
養子にしたと考えられている人物。
綱周の「綱」は、北条氏綱からの一字拝領であり、天文15年の
河越夜戦を経て関東一帯を勢力下においた北条氏康に大石氏
が臣属した後に、この白山神社の修理を行ったのである。
覆屋の中の白山神社本殿。
だいぶ傷んでいるが、板葺の屋根、柱の組み物、象の顔の木鼻
など歴史ある神社の姿が見えてくる。
子供の頃、この床下にアリジゴクの巣がたくさんあった。