八王子の景色   八王子神社                                       [戻る]



八王子城がある八王子城山(深澤山)の山頂近くにある八王子神社は、
八王子の街の名の起源といわれる。

平安時代の延喜13年(913)、京の僧妙行がこの深沢山で修行をしてい
たところ、
牛頭天王が現れ、そのお告げにより牛頭天王と八人の王子を
八王子権現社として深澤山に祀ったという。

戦国時代の永禄12年(1569)、甲相駿三国同盟を破棄した武田信玄は
北条氏康の小田原城を攻めるために、碓氷峠を越えて進軍し、その途中
で滝山城に猛攻をかけた。
滝山城主・北条氏照以下の城方はこの猛攻に耐えて落城は免れたものの
、滝山城が時代の趨勢に合わなくなったことを感じ、甲斐との国境の守備
を固めることも考え、深澤山を選地して新たに築城を開始した。

この時、深澤山にあった八王子権現社を城の守護神として祀ったことから
城は八王子城と呼ばれるようになり、城下の町の八王子と呼ばれた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、前田利家、上杉景勝
らが率いる北陸軍が苛烈な攻撃を加え八王子城は一日で落城。
北条旧領への領地替えとなった徳川家康が、戦で興廃した八王子城下の
町(横山・八日市・八幡)を新たな地に移転して、八王子の町(横山町、八日
市、八幡町)とし、八王子城下の町は元八王子と呼ばれるようになった。




八王子権現
古城山の嶺上に鎮座なり。別当西明寺。本社六尺。拝殿二間三間。例祭
三月十五日。村内鎮守なり。祭神牛頭天王幷に八王子なり。牛頭天王は
素盞雄尊なり。八王子は即ち八将神なり。神体は天王幷に八王子、外に
妙行和尚、ともに各々木像なり。鉄山というものの建立なり。

社伝云 延喜帝十三年癸酉の秋、華厳菩薩妙行和尚という大徳、この深
沢の麓に住み給い、ここの瀑布に入りて勤行し給う処に、忽然と牛頭天王
幷に八王子権現あらわれ給いて、ここに我を祭らば永く守護すべき旨の
神勅あり。同十六年丙子暮春十五日この地に始めて牛頭天王八王子権
現を勧請すと云。

(植田孟縉著 片山迪夫校訂『武蔵名勝図会』)


天正18年(1590)の秀吉の小田原攻めに伴う八王子城合戦では、この
境内地(中の曲輪)で老臣・中山勘解由は勇猛に戦うが、遂には力尽きて
落城となった。

八王子神社は、中山勘解由をはじめこの地で戦死した人々の救われない
魂を慰霊しているかのようである。





覆屋の中の八王子神社の社殿は、細部にまで気を配った見事な造りで、
八王子の名の起源に恥じない立派なものである。