八幡八雲神社 [戻る]
八幡八雲神社の周囲はビルやマンションが立ち並ぶ市街地。
神社の社殿も鉄筋コンクリート造で、2つの破風が並ぶ造り。
「八幡八雲神社」と呼んでいるが、「八幡神社」と「八雲神社」
が対等に並立して称すべき神社である。
八幡八雲神社 市街地東部の鎮守
八幡神社は延長2年(924)武蔵国司・小野隆泰(孝泰)が
京都の石清水八幡宮を邸内に勧請し、その子・義孝が横山庄
の総鎮守としたと伝えられている。義孝は横山氏を名乗り、
横山党の祖となる。
八雲神社は、慶長2年(1597)新町の浅川河原に流されて
きた川口村鎮守の牛頭天王の神体を八幡神社に合祀した
もので、古くは天王社と呼ばれていた。
(八王子市教育委員会の案内板より)
八王子城内(五日市からとの説もある)の牛頭天王ご神体が
川口村に移ったが悪病が流行ったため、川に流した。そして
竹の鼻の板屋淵に流れ着いたご神体を、八幡宮社地内に社を
建てて祀ったという「牛頭天王川流れ伝説」が興味深い。