高雲山 永泉寺 [戻る]
永泉寺は幕末から明治にかけて生糸の輸出で成功を収めた鑓水商人達
の文化サロン的な場所であったようだ。
特に俳句はその中でも大きな位置を占めていたらしく、境内には、芭蕉堂や
芭蕉像、芭蕉や城定一知などをはじめとした数多くの句碑などがある。
永泉寺 由緒
永泉寺の開創は弘治元年(西暦一五五五年) 甲斐武田族 永野和泉(武田
信玄の叔父に当たるとか)が時の党族争い等の醜さから逃れて諸家臣と共
に鑓水に移住し一宇を建て家宝の正観音像を奉安し(現在武相観音十四番
札所)由木永林寺開山住持に就いて剃髪し覚峰文公と改名し一宇を高雲山
永泉庵と称して其の基を開き当寺開基位となり永禄二年(西暦一五五九年)
九月九日寂す
その後永林寺三世住職岳應義堅大和尚が天正元年(西暦一五七三年)当
寺を法治寺院として開山し諸堂山門・七棟を建立する 天正一五年(西暦一
五八七年)十月十日寂す
曹洞宗大本山永平寺・總持寺に属す
現在の本堂は明治十八年火災全焼したため鑓水絹商人八木下要右ヱ門
の寄進をえて移築し以後奥の間養蚕室・茅葺き屋根を改築し現在に至る
(境内の由緒書きより)
数年前に初めて永泉寺を訪ねた際に、玄関に置かれたカゴの中に竹トンボ
が入っていて、「ご自由にお取りください」との添え書きがあった。
いただいて帰った竹トンボは、今も書棚の中に飾ってある。