永林寺 中雀門 [戻る]
三門のすぐ先、石段を登った先にあるのが中雀門。
真新しい門は、唐破風の屋根を載せ堂々としている。
この門には説明板が付いていない。
平成25年4月21日に「御開山 一種長純大和尚四百
五十回大遠忌法要」と併せて「中雀門新築記念事業」
が営まれていることから、新築の中雀門である。
この新築の門が建てられる以前は、この場所には別
の門があり、そこに「中雀門」の説明板も立っていた。
その当時の中雀門はどうなったのだろうかと思い、境
内を探してみると、大庫裏の近くに通用門として残って
いるのを見つけた。
これが以前の中雀門で、当時は次のような説明板があった。
中雀門
安永二年(一七七二年)建立。一間薬医門 切妻造り銅板
葺き。
天正十九年九月徳川家康公による公卿格式十万石を拝受
した折、建立許可された門で別名公卿の門と呼ばれ格式の
ある門で、建立時は、唐破風の門であったが、火災にあい
焼失する。
天保十一年(一八四〇年)四月再建される。昭和四十一年
九月台風にて倒壊する。昭和四十二年横浜東漸寺の山門
を移築し、現在に至る。
中雀とは、南に向かって中庭に建てられている門で、永平寺
では本堂に向かう最後門である。
(旧説明板より)
現在は説明板もないため、この門のことを知らない人には
「由緒ありそうなる通用門」として見られるのだろう。
門の扉には、徳川家の三つ葉葵の紋があり、また三鱗紋も
数か所に見ることができる。