八王子の景色   金峰山 永林寺                                [戻る]



由木の永林寺は、市内でも有数の大寺院である。
曹洞宗の禅寺らしく、総門、三門、中雀門、本堂(法堂)が一直線上
に並ぶ伽藍配置となっている。

金峰山 永林寺
永林寺は、大石源左衛門尉定久公の居館(由木城)であったものを、
定久公が滝山城に移るに至り、叔父一種長純大和尚に譲り、天文六
年(一五三二年)三月永鱗寺として創建された。その後八王子城主
北条氏照公の助成を受けて天文十五年七堂伽藍の完備された大寺
院が完成された。
天正十五年後陽成天皇より勅願寺の綸旨を受け護国殿の勅額を受
ける。天正十九年九月徳川家康公が当寺に参拝された折り、、朱印
十石、公家格式拾万石を授けられ、赤門の建立が許可された。又、
永鱗寺の鱗の字を林に変え、現在の永林寺の寺名となり、今日に至
っている。又、当地域に十ヶ寺の末寺を有する、格地本寺寺院である。
永林寺には、大石家丸に三ツ星、北条家三つ鱗、天皇家菊、五三の
桐、徳川家三つ葉葵等五つ紋を有しており、往時を偲ぶ事が出来る。
   平成十一年十一月七日記
                       永林寺第三十六世 大観永利

(説明板より)






上の写真は、本堂とその奥の大庫裏。大庫裏の右に旧中雀門と鐘楼
を見下ろす。手前の屋根は豊川殿。
左の写真は上の続きで、豊川殿の屋根の右に新築された中雀門、
その右には、反りのある三門の屋根が見えている。

この他にも、「由木の赤門」と呼ばれる総門、写真を撮影している背後
には三重塔が建ち、また、大石定久公墓所や由木城跡など見どころ
がとても多い寺院である。

永林寺発のパンフレットによると、永林寺は開創以前は滝山城主大石
定久が滝山城に移城するまでの城館(由木城)であり、永正18年
(1521)年に築城された滝山城に定久が移ると同時に由木城を叔父
一種長純大和尚に譲って、道俊院心月閣と称したという。
後、定久公の養子となった北条氏照により中興開山され、七堂伽藍の
整った大禅寺となったとされている。

近年の研究により、氏照が養子に入ったのは、大石憲重(綱周)であり、
滝山城への移城前は憲重は由井城(浄福寺城)を居城としていたと
されているが、大石氏と永林寺とは深く関わっていたに違いない。