八王子の景色   由井野城跡(1)  -概要-                  [戻る]

中田正光氏の著書『村人の城・戦国大名の城』に紹介されている城郭。
中世城郭研究家の中田氏の目でみれば、古街道が渡河する地点や
中世に栄えていたとされる「由井本郷」や「八日市場」などとの関連から
ここに城郭遺構が存在することを予見できたのだという。

弐分方町に旧字名として「由井野」という地名が残っている。ここに
報恩寺(不動院)という寺があり、その場所が由井氏の居館の跡だと言
い伝えられてきた。それが事実かどうかはわからないが、寺の裏山には
城郭遺構が残っている。これが居館の主に関わる遺構かどうかは即断
できないが、八王子城から延びてきた枝尾根の末端にあり、しかも古案
下道が90度方向転換する位置にあって、北浅川の渡河地点という立地
から、八王子城の番所として取り込まれていたと思われる
。』
(中田正光「村人の城・戦国大名の城」より)

写真は、由井野城の東側から遠望したもの。
中央の尾根の最高点が本丸で、尾根は北東に向かって下る。
尾根を南西に向かって進むと、やがて小田野城に繋がり、その先は
八王子城の城域になることから、由井野城は八王子城の外郭を構成
するものと考えられる。








由井野城のある尾根の先端には、日枝神社がある。
日枝神社の南を抜ける道は、荷車を通すために明治17年に開削された
「神戸(ごうど)の切通し」と呼ばれる道。
切通しは、現在では散歩をする人が通る程度の静かな道である。

由井野城の遺構は、この切通しから南(写真左)へと上がっていくが、
現在日枝神社がある場所も由井野城を構成する曲輪のひとつと考える
てもよさそうだ。

街道と渡河地点の両方を見下せる地点にあり、曲輪状の境内や切岸状
の山腹を見ると、その可能性が高いと思われるのである。