八王子の景色   由木城跡(1) 主郭?                          [戻る]


下柚木の永林寺は、関東管領山内上杉氏の重臣で武蔵守護代で
あった大石氏の居館跡であり、由木城跡とも伝わる。

市指定史跡 大石氏の居館跡
  所在地    八王子市下柚木四番地
  指定年月日 昭和四十五年二月二十六日
一名由木城ともいい、武州滝山城主大石源左衛門尉定久の居館が
あったといわれ、今も本堂裏手高台にその跡がある。
定久は、後、隠居し「心月斎(真月斎)」と名のり、この一帯約一〇〇
万uの広大な地を永林寺領としたという。
また、このあたり野猿峠までを殿ヶ谷というが、これは「往時由木氏が
旧跡なるゆえ、殿のあとというべき心にて殿ヶ谷と唱えて村の小名
とするなり」と武蔵名勝図絵に記されているとおり、由木氏の居住地
であったものであろう。
なお、定久の墓は永林寺歴代住職の脇に移動されている。
  昭和五十三年五月三十一日
                           八王子市教育委員会

(八王子市教育委員会の説明板より)









墓地の奥に見える「由木城跡」は、コンクリートブロックで固められて
いて、戦国時代の城跡という風情は感じられない。
ブロックで固められた壁を曲輪の壁と見れば、それらしくも見えるが、
多少の崩れはあったにしても、旧状を留めていればと惜しまれる。

この城跡は、永林寺がある場所を主殿として、有事の際の詰めの城
的な役割だったのではないか。
城跡の背後を登っていくと、由木の御岳神社や越野の日枝神社へと
通じる尾根に出るが、これらの神社は城郭の構えとなっており、物見
台や非常時の避難路として機能していたと考えたくなるような配置と
なっている。

現在墓地がある辺りには、虎口を伴った土塁や空堀などが構築され、
矢倉や井楼などが建っていたのかも知れない。

「由木城跡」に登ると削平された平場が広がっているが、平面が整い
過ぎている感があるため、これは最近の工事によって平場に整地され
たものと思われる。
城跡内には、「由木城跡碑」と「大石定久公像」が建っている。








城跡から墓地越しに永林寺を見おろす。
この距離感や比高は、城館として利用するに相応しいといえる。
永林寺の両側は小尾根になっていて、東西の丘陵との連絡もよい。

この谷戸の地形を利用して、土塁・空堀などの防御設備を構築すれ
ば、堅固な館であることは間違いない。