八王子の景色   小宮曲輪(旧解説板)                     [戻る]


大手道の天野坂を登ると左に小宮曲輪が現れる。
曲輪を取り巻く巨大な空堀から立ち上がる壁は10m以上はある。

小宮曲輪は、北条氏照が滝山城に入城後に、城域の拡張と機能
強化を図った改修により築かれたものか。
滝山城内を描いた慶安古図には「小宮曲輪 屋敷」とあり、家臣の
屋敷地でり、信濃・刑部・カゾノ屋敷と同様、二の丸の外側に家臣
団屋敷を設け、内郭の一次防御ラインを構成していた。

曲輪は東西に長い不整形で南から西に深い空堀を巡らす。
曲輪内部は高低差や土塁により数区画に分けられ、空堀に面する
周囲には土塁の跡がよく残っている。

なお、八王子城にも小宮曲輪と呼ばれる曲輪があるが、この小宮
曲輪との関連はよくわからない。












小宮曲輪跡
家臣屋敷の一つ。要害部の西側に細長く配置された曲輪で、東側
を一段低く通路にして、曲輪内部は幾つかの区画が段差により形
成されている。西側には土塁が良好に残り、城域の西境を頑強に
守っている。
                                 東京都

(東京都の説明板【2012年3月に撤去】より)


左の写真は空堀と小宮曲輪の壁。圧倒される高さがある。
敵を寄せ付けない強固な構えに見えるが、永禄4年に武田信玄が
小田原攻めの途中で滝山城を攻略した際は、二の丸まで武田勢
が攻め込んだともいわれ。