八王子の景色   空堀・土橋(旧解説板)                      [戻る]


滝山城は大石氏が築城し、大石氏の養子となって所領を引き継いだ北条氏照
が改修を加えたとされる加住丘陵上に築かれた中世城郭。
後に氏照は滝山城から八王子城へ城を移転することになるのだが、この両城
は縄張りから機能まで全く異なっている。

この違いは築城時期と武器の発達によるものと言える。
滝山城の築城時期の主要な武器は槍や弓矢などであり、滝山城は比較的な
だらかな丘陵地形を利用して(北は高い崖であるが)、大きな曲輪を水平的に
配置、曲輪間をつなぐ土橋や周囲にめぐらせた巡らせた深い空堀の工夫によ
ってして敵の侵入を阻止したり、攻撃を仕掛けるからくりを随所に施していた。
一方、八王子城は鉄砲が全国に行きわたった時期であり、峻険な山城の高低
を防御の主眼としている。

空堀・土橋
堀には水堀と空堀があるが、滝山城の堀は空掘であり、現在も明瞭に確認で
きる。滝山城では城壁を石材で覆うことはしていないが、この城の移転先であ
る八王子城には石積みが存在する。
また土橋は曲輪どうしを結ぶ通路であると同時に堀を分断し、堀が通路となる
ことを妨げている。
                                          東京都

(東京都の説明板【2012年3月に撤去】より)






空掘と土橋の工夫が滝山城の大きな見どころ。
これほど大規模で良好遺構が残る中世城郭はない。

左は二の丸南側の土橋と空掘で、右側が二の丸。
二の丸に対峙した長い曲輪を通る敵に対し、高度差で優位にした二の丸から
攻撃を仕掛ける。
敵は手前の細い土橋を通ることになり、ひとりづつ一列に並ばざるを得ない。
土橋は二の丸側に引き付けられるカーブしているため、二の丸からの攻撃も
正確さが増すという仕掛けになっている。