八王子の景色   本丸(1)(旧解説板)                        [戻る]


中の丸から引橋を渡り、枡形虎口を抜けると本丸に入る。
本丸は上下2段に分かれていて、下段には枡形虎口が2か所設けられ、
曲輪内には井戸跡も残っている。


本丸跡
曲輪(くるわ)は南北二段に分かれ、土塁により囲まれている。
南側の低い段には出入口と推定される枡形虎口が二箇所確認でき、そ
の一つは引橋を通じて中の丸へ、もう一つは堀底へと通じている。当時
の井戸跡も良好に現存している、北側は一段高く、多摩川方面が一望
に見わたせる配置である。
                                       東京都

(東京都の説明板【2012年3月に撤去】より)

高橋源一郎氏の名著「武蔵野歴史地理」にも「瀧山城址」が掲載
されている。

この本丸址はほゞ独立山の様な形をなし、四方は刀を以て削れる
如き断崖で、約一二段歩ばかりの場所である。山頂を平かに削り
なしたる所で、高低二段に分れ、其の低き方の一隅には昔ながら
の掘井戸が依然として残っている。
(高橋源一郎『武蔵野歴史地理 第五冊』)






曲輪内に残る井戸は予想以上に大きなもので、安全のために
被せられた鉄網越しに内部を見下ろすことができる。
現在では水は見えないが、井戸の周囲を丸い石で組んでいる
のを見ることができる。

江戸時代の地誌書「武蔵名勝図会」には、


上より下まで玉川の丸石を以て積み上げたる大井なり。


と記述され、井戸内部に組まれた石は多摩川の河原から運んだ
丸石であると断定している。

この丘陵の頂上近い高所で井戸を掘れば水が出るということを、
どうして知ることができたのだろうか。
水が得られなければただの山。「山城」にはなり得ない。












本丸に立つ「史蹟滝山城跡碑」と「瀧山城本丸址の碑」。

史蹟 滝山城跡
指定年月日 昭和二十六年六月九日   国指定史跡
昭和四十一年四月一日建立 八王子市文化財保護委員会
            管理団体 八王子市教育委員会

瀧山城本丸址の碑
此の城は関東の名城といわれ天文五年(一五三六)北條氏康
同二十一年(一五五二)上杉謙信 永禄十二年(一五六九)武田
信玄の諸豪からの猛攻を受けている 大永元年(一五二一) 始
めて大石定重 之を築き 定久之を受け ついで北條氏照の居城
となった
尚この城の城下町は八王子市の發祥地である
                         八王子市長 野口義造