小宮曲輪(2) [戻る]
小宮曲輪は東西に非常に長い曲輪となっている。
内部は仕切土塁や段差によって、いくつかの区画に分かれ、
こうした構造は、城の東尾根にある家臣屋敷(信濃屋敷・刑部
屋敷・カゾノ屋敷)とよく似ていることから、小宮曲輪という巨大
な曲輪の中は、区画ごとに家臣の名を冠した屋敷地であった
とも考えられる。
小宮曲輪の中は、間伐された雑木林のような状態で、手入れ
が行き届いた里山のようでもある。
木が成長すると葉が日光を遮り暗い森になり、年を経た大木
が倒れるなど、城跡遺構の保存にも悪影響が出る。
杉山城跡のように立木を皆伐して遺構景観を明確にしている
ケースもあるだけに、今後の管理・保存方法に期待したい。
小宮曲輪の南側は深い空堀に面した土塁が取り巻いている。
曲輪の南側は巨大な堀と高い土塁による絶対防衛線を張り、
曲輪内に家臣を居住させることにより、敵に侵入させる経路を
与えない.
小宮曲輪は滝山城の防波堤のような役割なのだ。
土塁上に上がると曲輪内との比高が高く、曲輪内部もかなり
広いことがわかる。
ここには数多くの家臣が住んでいたことだろう。
立木を切り払ったならば、一区画だけでも屋敷の姿を復元して
欲しいものだ。
小宮曲輪の最奥部は最も高く設えられていて、土塁に囲まれ
た区画はかなりの広さがある。
ここは上級家臣の屋敷があったことが想定されるが、その名の
通り小宮氏の屋敷地であったものだろうか。
曲輪の西端には、小宮曲輪の西の虎口を守備する櫓台跡が
残っている。