八王子の景色   根小屋城跡(1) 概要                        [戻る]


戸吹城、二城城などとも呼ばれている根小屋城。
戸吹町交差点から西の細い道を進み、分岐を左へ行く。(分岐を右に
行くと戦国期の古甲州道)
谷地川の流れに沿ってさらに進むと、「根小屋城跡(二城城跡)」と書か
れた案内板が見えてくる。
ここが根小屋城跡の入口である。

根小屋城に関しては、中世城郭研究家の中田正光氏が「東京で一番
危険な城なので、決してひとりでは行かないように。」と言っているが、
今回は、敢えて単独行を試みた。

左写真は、下記余湖図の右下にある根小屋橋横の案内板にあたる。
ここから住宅を回り込むように進んでいくと根小屋城への登城路。

その先は両側が切り立つ崖の細い土橋状の道を進まないと北曲輪に
は行くことができない。
土橋も危険だが、もっと危険なのは北曲輪(余湖図1)。
この曲輪は先の土橋道とは比べものにならないくらいの深い崖の上
に突き出している。
この城跡は、大変危険な城跡であることを肝に命じておく必要がある。








南曲輪(余湖図3)と北曲輪(余湖図1)が対等な機能を持つものとして、
一城別郭と見ることから二城城という別名が付けられたのだろう。
南曲輪は北曲輪の馬出であり、北曲輪は南曲輪の馬出という位置付け
という考え方もできるだろう。

根小屋城に関しては、誰が、どのような目的で築いた城なのかは全くの
謎である。
古甲州道とその渡河地点を抑えるという役割は持っていたであろうし、
また、北方の見晴しが非常によいことから、山内上杉氏の重臣で武蔵
守護代であった大石氏が、滝山城の出城として監視の目的で築いた城
であり、居城としての性格ではなかったものと思われる。


(左図は、インターネットホームページ「余湖くんのお城のページ」より
引用させていただきました)