八王子の景色   片倉城跡 (7) 空堀(本丸-二の丸)                   [戻る]


片倉城の本丸と二の丸の間に残る空堀跡。
現在は深さ2m程度でしかないが、本来の堀は数mは深く、本丸の土塁を併せ
た比高は10mを越えるものだったのではないか。
曲輪の壁や土塁の自然崩壊によって埋もれてしまったのに加え、太平洋戦争
中に片倉城跡が高射砲陣地として使われた際に整地された可能性もある。

二の丸の南西に残る深い空堀跡は片倉城跡の貴重な遺産であり、それををこの
空堀に重ね合わせて、往時を想像してみることができる。
片倉城の楽しみ方のひとつだろう。

現在は、堀の中央にコンクリート製の橋が架けられているが、土橋の痕跡は認め
られない。
おそらく、木橋が架けられていて、それは引橋であった可能性のある。













空堀には折りがあり、本丸から折りへの張り出しは本丸より高くなっているので、
空堀に突出した櫓台となっており、この構造は、岡の城山(埼玉県朝霞市)の本丸
と二の丸間の空堀に似た構造である。

片倉城は15世紀初め頃に長井氏によって築城されたといわれるが、16世紀中
頃に武蔵に進出した北条氏の属城として改修を受けたものと考えられる。
しかし、それは日本が鉄砲を知らない時代のこと。
弓矢で合戦をしていた時代から、鉄砲の急速な普及によって、戦い方が変わって
くると、片倉城のような古いタイプの城は時代に合わなくなり、廃城となるか、物見
や通信の中継地として利用されることになる。

片倉城跡は、静かな公園として休日になると散策や遊びに訪れる人々が多い。
だが、世前期の城の面影を留めるこの空堀は、ただの浅い窪みにしか映らない
のだろう。