八王子の景色   片倉城跡 (6) 二の丸                   [戻る]


片倉城跡の二の丸は非常に広い曲輪である。
現在は芝生の公園になっており、春から秋にかけてはレジャーシートを広げる家族
連れなどが見られ、市民の身近な憩いの場となっている。、

東京都指定史跡 片倉城跡
       所在地 八王子市片倉町二四二三
       指定   昭和一一年三月    標識指定
             平成一一年三月三日 史跡指定
片倉城跡は、湯殿川と兵衛川の合流点を臨む北東方面に張り出した丘陵先端部に
位置する中世城館です。北・東・南の外周部は約三〇mの急崖となっており、自然
地形を生かした城郭です。西からの丘陵頂部は平坦ですが、深い空堀により画され
た主郭と第二郭からなります。現道の配置等から第二郭の西方にも堀切りがなされ、
三郭からなる直線連郭式城郭であった可能性もあります。空堀により画された二つ
の郭には土塁や櫓台、腰曲輪、土橋などが良く残ります。
『新編武蔵風土記稿』などでは応永年間(一三九四〜一四二八)の大江備中守師親
の在城を記し、大江氏や大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが、確証は
ありません。
築城主体や年代の特定は困難ですが、深大寺城跡などの中世城郭との比較から
一五世紀後半以降に築城され、一六世紀代に廃城になったと推定されています。
しかし、城郭としての配置や技法、古川越街道や鎌倉街道と隣接する交通の要衝
でもあることから、小田原北条氏による築城や利用の可能性も指摘されています。
      平成二二年三月 建設
                                  東京都教育委員会

(東京都教育委員会の解説板より)



上の写真は、二の丸の西から東を見たところ。
芝生の原の先は空堀を挟んで本丸へと続く。

左の写真は反対に二の丸の東から西を見たところ。
広い曲輪の西端は緩やかに高くなっているが、これは土塁が崩れた名残であり、
その先には広い空堀の跡が見られる。

遠く、高尾山や景信山の姿や丹沢山系の稜線が見渡せる。




















二の丸の南西部には木や篠竹が生い茂っていて、その周囲はコンクリート柵で囲
われている。
実は、このコンクリート柵の中に片倉城の遺構が良好に保存されている。
南西角にあるコンクリート柵の切れ目(左の写真)からこの中に入ってみると、そこ
には2m以上はありそうな土塁があり、土塁の上に上がると眼下には深い空堀が
見られ、空堀を越えた向かい側(三の丸跡か?)に対する監視と防御が強力である
ことが確認できる。

この土塁と空堀が、上の写真に見られる場所まで続いていたと想像すると、片倉城
はかなり堅固な城砦であったことがわかる。
なお、この二の丸は、戦時中は高射砲の陣地として利用されていたらしい。
片倉城跡公園内にある公園案内図に高射砲の絵が描かれている。

これは想像だが、この高射砲を二の丸に搬入する際に、搬入路を造るために城跡
遺構を一部破壊したのではないだろうか。
国道16号沿いの派出所横から住吉神社へと続く参道と、住吉神社から二の丸へ
続く道は斜路となっており、その名残りのように思える。