八王子の景色   片倉城跡 (5) 空堀(二の丸外側)              [戻る]


片倉城跡の二の丸(写真左側)と推定第三郭(右側)を断ち切る空堀跡。

二の丸の西方に空堀を挟んで広がる台地は、家臣屋敷などが並ぶ曲輪
であったと考えられるが、現状は畑地になっているため、遺構などが確認
できないため、ここでは「推定第三郭」とした。

推定第三郭側には空堀から立ち上がる壁の名残りが見られるが、二の丸
側の壁はなだらかになっていて、中世城郭の名残りは感じられない。
これは、太平洋戦争中に片倉城跡が高射砲の陣地として使われていた
という歴史があり、陣地を構える際の工事などにより、二の丸西の土塁や
堀が破壊された可能性がある。

しかし、この空堀跡の先に中世城郭の姿を見ることができる場所がある。
土塁と空堀はとても見応えのがあるもので、その遺構をこのこの破壊跡
まで延長して想像すれば、片倉城の認識が大きく変わってくる。












二の丸から空堀を挟んで推定第三郭を見る。
家臣屋敷が立ち並ぶ大きな曲輪であったのではないかと想像される。

台地は西に向かって広がっていくが、そのどこかに推定第三郭の防御線
となる空堀があったに違いないが、今はその手がかりさえない。

往時の姿は謎のまま。
遺構を発掘調査して、往時の姿を復元してもらいたいものだ。



















空堀の先はコンクリート柵があり、その先は草や木が生い茂っている。
この柵の内側に、破壊されていない中世城郭としての片倉城が残され
ている。

深い空堀と二の丸側に高く積まれた土塁との比高は10mはあろうか。
この遺構を見ると、片倉城は滝山城の支城として北条氏による改修を
受けて、繋ぎの城として機能していたものと考えられる。