八王子の景色   片倉城跡 (4) 二の丸虎口                   [戻る]


90度折れ曲がった大手道は二の丸虎口へ向かう。
虎口への道は両側を深い空堀にした土橋が上り坂となってまっすぐに続く。

写真では篠竹などは繁茂していてわかりにくいが、大手道の両側は空堀に
なっている。
大手道に対しては、二の丸が左右に張り出して、横矢をかける仕組みになっ
ている。

馬出から虎口までの間をみると、鉄砲以前の弓矢の時代の城の防御がよく
残っている。
片倉城は、鉄砲戦以前に築城された城であって、鉄砲が普及した戦国後期
にはその役割を終えたのではないだろうか。

長井氏によって築城された片倉城は、長享の乱を通じて山内上杉氏の重臣・
武蔵守護代の大石氏の手に渡るが、相模から武蔵、そして関東へと侵攻した
北条氏が支配するところとなり、大改修を受けて滝山城などとのつなぎの城
として機能したとの通説は正しいのかも知れない。
ただ、古川越道を抑え、これほどに存在感のある城が、永禄4年の上杉謙信
の関東侵攻や永禄12年の武田信玄の小田原攻めの際にも、記録に表れて
こないのが奇妙でもある。







土橋から西を見ると、中央に空堀、、右(北側)には二の丸、左側には大手道
が馬出方面へと続いている。
二の丸の張り出しからは横矢がかかる。

























二の丸の虎口部。
幾重にも防御を施した大手道が、最後に二の丸に簡単に直進して入るとは考え
られないので、ここには枡形などの防御設備があったと思われる。

写真にコンクリート製の柵が見えるが、このコンクリート柵に囲われている場所に
片倉城の往時の姿が残っている。
つまり、柵が切れているところは「中世城郭への入口」ということ。

このコンクリート柵の切れ目は数ヶ所ある。