八王子の景色   浄福寺城跡(7) -三郭下の曲輪-                 [戻る]


浄福寺城の三郭の下の曲輪は腰曲輪と呼ぶには広すぎる。
千手山は急峻な山のため、尾根は痩せている。
その痩せ尾根を利用した浄福寺城の中でも、広い曲輪である。

ここにちょっと変わった遺構が見られる。
三郭の壁を背にして立つと、谷のに向かって半島の様な張り出しが
3つ並んでいて、それは三本の大きな指のようでもある。
見方を変えれば、曲輪を4本の堀が削っているということのもできる。

畝状竪堀説があるが、谷は傾斜が緩く浅いため、斜面の横移動を
防ぐには小規模すぎるし、曲輪に近すぎるのではないか。

曲輪内の通行を阻害するための畝堀という説がある。
すると、ここは通路として考えるべきだが、通路ならば曲輪より一段
低い位置になければ防御の意味を持たないが、曲輪と同じレベルに
あるのが疑問である。

破城または主尾根変更に伴って曲輪を破壊した跡という説がある。
浄福寺城の東側の尾根群は古い城郭で、西側の尾根に新しい城郭
を新たに築いたことで、古い城郭を敵に使われないために曲輪の一
部を破壊したという。

さて、この遺構をどう見るべきか、この謎を解こうと想像をめぐらせる
のが中世城郭の楽しみである。