浄福寺城跡(6) -三郭- [戻る]
浄福寺城において三郭という呼称はないが、便宜上、主郭から
主尾根に沿って直線状に並ぶ曲輪の、北端部の曲輪(余湖図
上の 3 の曲輪)を三郭とする。
三郭は、主郭から北に伸びる主尾根の北端にある。
ここからは下り尾根となり、左右は急傾斜の山腹となっている。
曲輪の南側に土塁状の高まりがみられる。
三郭から北側尾根筋への下り道。
堀切や曲輪跡などが残っている。
尾根を下っていくと辺名という地に出る。
辺名には、「下原刀鍛冶発祥の地」の碑が建っている。
「下原刀鍛冶は、16世紀の初頭、領主大石氏の招きに応じて
この辺名の地で鍛刀した周重と名のる刀匠を祖とする。」
と碑にあり、大石氏と下原鍛冶とは関わりが深かった。
浄福寺城と大石氏、そして下原刀鍛冶。
長享の乱の結果、主家山内上杉氏から椚田氏が所領していた
土地を与えられた大石氏は多摩の地で勢力を拡大していく。
浄福寺城は、大石氏の居城として重要な拠点として機能したで
あろう。
そうした大石氏を軍備面で支えていたのが下原鍛冶であった。
三郭下の尾根を断ち切る堀切。
左が三郭、右が辺名へと下る尾根筋。
やはり崩落が激しいようで、「堀切跡」という状況ではあるが、
頭の中で、崩れた土を掻き上げてみると、、ここも相当な要害で
あったことを充分に想像することができる。
この三郭から北へ下る尾根筋の遺構や三郭周囲に配された竪堀、
三郭東の腰曲輪周辺には、主郭にも劣らない配慮が見てとれる。
浄福寺城の縄張において、三郭の位置や地形等が独立的であり、
他の尾根に比べ、攻め込まれやすい欠点を補うためだったように
思われる。