八王子の景色   初沢城跡(1)                         [戻る]


京王線高尾駅のホームから南方を見ると初沢城跡が見える。
産業殉職者慰霊塔の黄色い独特な姿が目に入るが、城跡は
そのすぐ右から立ち上がり、出丸部を経て山頂の主郭部へと
続き、さらに南へと下る連郭式の山城である。

初沢城跡
所在 八王子市初沢町
指定 昭和二年三月
築城年代などは詳らかではないが、築城の手法からみて
室町時代の一五世紀末期と考えられている。
『新編武蔵風土記稿』などによると平安時代末期から鎌倉
時代初めにかけて、当地方で勢力を得ていた横山氏の庶
流・椚田氏の末裔の居城であったと考えられているが、
長井氏の居城という説もある。
標高二九四メートル、比高一〇〇メートルぐらいの山城で、
城の構造は西北から東南に走る尾根山稜の主郭部とそこ
から東北に張り出す支尾根の出城部分からなっている。
主郭部では左右に尾根を掘り切っている遺構なども確認
されている。
     昭和五十八年三月三十一日建設
                       東京都教育委員会

(東京都教育委員会の説明板より)



初沢城跡は、別名「椚田城跡」とも呼ばれる。
主郭には『初沢城跡』と書いた標柱が立つだけで、解説板
などはなく、ベンチが数台置いてある。
主郭は東西に細長い曲輪で、周囲に腰曲輪がある。

主郭からは尾根伝いに南に高度を下げて小曲輪が続く。
その先、尾根はU字型に北に向かって下っていくのだ。
この尾根を下りながら頭に浮かんだのは、『八王子城の太鼓
曲輪尾根によく似ている』ということ。
産業殉職者慰霊塔の対岸あたりに山麓の居館でもあれば、
初沢城跡は『小さな八王子城』と言えるような構造である。
時代順に言えば、『八王子城が大きな初沢城』というべきか。

冬枯れ時の主郭部からは木々の間から景色が見渡せる。
北西方向には八王子城跡の要害部が見えている。
北の方角には高尾駅周辺の町並みが見える。
高尾駅の先には廿里山もみえる。
廿里山は、永禄12年(1569)に武田信玄が滝山城を攻め
た際に、武田軍の別働隊が小仏峠を越えて進軍し、これを
迎え撃った北条方が戦った古戦場である。






主郭下の木の間越しに見る八王子城要害部。
右端に本丸・中の曲輪・松木曲輪・小宮曲輪などの遺構が
ある山頂要害部。
その左に、馬冷し、詰の城、富士見台、熊笹山と続く。

初沢城の築城者や城主は説明板にあるように不明である。
だが、北条氏が関東を支配した際には、小田原本城への
連絡網である「つなぎの城」として機能したことだろう。
そのラインは、八王子城−初沢城−(小松城)−津久井城
というところだろうか。