水路状敷石遺構(2) [戻る]
水路状敷石遺構は八王子城要害部の南面山腹の谷沿いに
長さ約16mにわたって造られている。
敷石遺構の最上部は、どのような構造になっているのか。
その地点に行き、堆積した落葉や枯枝などを取り除いてみる
と、意外なことに石垣状の積石が現れた。
積石は谷の形状に沿って三日月の形になっている。
下方の敷石遺構は緩い曲線になっているので、上方は谷が
鋭く切れ込んでいて、下方に行くにしたがって緩やかな形状
になるように造ったものであろう。
上から見ると逆S字形にカーブを描き、断面の形状は上方
が深く、下方が緩やかになっている。
また、遺構の途中2か所には段差が設けられている。
敷石遺構は谷の形状に合わせて、大変複雑な形状に造られ
ていることがわかる。
では、この敷石遺構は何の目的で造られているのか。
これも八王子城の大きな謎のひとつである。
椚 國男氏の『戦国の終わりを告げた城』には次のような説が
挙げられている。
・沢の崩壊を防ぐ排水路説
・取水場説
・洗濯場説
・天水浄化施設説
・防御施設説
・技術者の遊び説
・子供たちの滑り台説
八王子城の築城に関する資料が残っていないので、どれが
正解なのかはわからず、これ以外の目的であったことも考え
られる。
私も自説がある。この谷の下方は沢になっていて、そこにも
石積遺構が見られ、御主殿との関連で考えてみるときに、
ある目的が浮かびあがるのだが、果たしてどうだろうか。