八王子の景色   水路状敷石遺構(1)               [戻る]


八王子城要害部の南山腹に残る謎の「水路状敷石遺構」。

馬回り道から急斜面を数十メートルほど下りて小尾根の間の
谷に、スノーボードのハーフパイプ状に平石が敷き詰められて
いる。

遺構は崩壊が進みつつあるが全体に旧状をよく留めているの
で、この場所に人工的な施設があったことは確実なのだが、
どういう目的で造られたものなのかが謎である。

わずかにカーブする浅い水路状の敷石遺構で、両端にやや
大き目の石をすえ、そのあいだに平らな石を凹局面に敷き並
べていた。幅は一・二メートルで、五センチくらいひろいところ
もあった。上下に石垣があって二三メートル離れ、上の石垣
下から四、五メートルは落石で埋まり、下の石垣の上二・五
メートルは石垣が失われ、下の土があらわれていた。

(椚 國男 『戦国の終わりを告げた城』 より)
















八王子城に行き、現地で遺構を確認したのは2011年1月
のことだった。

椚 國男氏の本の内容を頭に叩きこんで、敷石遺構がある
場所へと下っていった。
馬回り道から敷石遺構へのアクセスは人の踏み跡もない
急斜面で、枯葉が積もり、山肌は脆く崩れやすい難コース。
ひとりで近寄るのはかなり危険である。

ようやくたどり着いた敷石遺構は落ち枝や枯葉が積もって
いたが、それらを注意深く除けていくと、素晴しい敷石遺構
が出現した。










外縁部は比較的大きな石を使い、端は線がきれいに揃えて
ある。

その内側には、石の形を組み合わせてわずかな隙間を残し
ながら、緩いアールを保ちながら斜面に沿って長く伸びてい
る。

遺構が残る位置からしても、戦国時代の八王子城に関わる
ものであることは間違いないが、では、この遺構を造った目
的とはいったい何だったのだろうか。