山頂曲輪 [戻る]
八王子神社がある中の曲輪の背後に八王子城山(深澤山)の最高部が
ある。
この頂上にある曲輪を「本丸」と呼び、石碑や解説板もその名称になって
いるが、椚国男氏の著書『戦国の終わりを告げた城』にならい、ここでは
「山頂曲輪」と呼ぶ。
国指定史跡 八王子城跡
本丸跡
城の中心で、最も重要な曲輪です。平地があまり広くないので、大きな
建物はなかったと考えられています。
ここは、横地監物吉信が守っていたといわれています。
八王子市教育委員会
(八王子市教育委員会の説明板より)
山頂曲輪には「八王子城本丸址」の石碑と小さな社が建っている。
曲輪の周辺には土塁が見られないので、戦時に立て籠もる場所というよ
りは、祭祀を行う場所と監視をするための井楼があった程度ではなかっ
たか。
周辺からは、石臼や焦げた櫛、鉄砲の弾などが拾われているという。
山頂曲輪に建つのは牛頭天王社。
深澤山で修行をしてた妙高が、修行の中で牛頭天王と出逢い、ここに
牛頭天王とその眷属の8人の王子を祀ったことで社は八王子神社と呼
ばれる。戦国時代に北条氏照がこの深澤山に築城し、八王子神社を城
の守護神としたことから、八王子の地名が起こったとされる。
妙高が深澤山の周辺の8つの峰に8つの社を祀ったとされるが、その
ひとつがこの牛頭天王社の前身であったのかもしれない。
山頂曲輪の10m程下には、曲輪を取り巻くように1周する鉢巻状の道
が残っている。