八王子の景色   柵門台                          [戻る]


金子曲輪から山頂に向かったハイキング道を登っていくとベンチが
置かれた小さな平坦地に出るが、ここが柵門台。
柵門台の名前の由来は、慶安古図のこの場所に柵門が2つ描かれ
ているためであろう。

柵門台は、金子曲輪との連絡(写真手前側)、登城道と搦手へと通
じる道(写真右)、山王台へと通じる道(写真左:木の陰)、山頂要害
部へと通じる道(写真左奥:階段になっている)が交差する、八王子
城の中で非常に重要な場所である。

重要地点である半面、狭小な曲輪である感は否めない。
攻め登って来る敵を狭隘な空間に閉じ込めて、上部の曲輪から撃つ
ことを想定していたのだろう。

柵門跡
山頂の本丸方面へ続く道の尾根上に築かれた平坦地で、柵門跡と
呼ばれています。名前の由来など詳しいことは不明です。
                             八王子市教育委員会

(八王子市教育委員会の説明板より)








柵門台を山頂へ向かう道から見下ろしたもの。
(上掲の写真の左奥から見た様子)
左のベンチの先に曲輪の跡らしきものが見えるので、登山道の開通
の際に、曲輪の壁を崩して坂道にしたものと思われる。
金子曲輪下の馬蹄段もそうだが、登山道は城郭遺構を破壊している
のが残念だ。

近藤曲輪からの登城道や松竹方面からの搦め手道から山頂へ向か
うには、この柵門台を通らなければならない。
この2本の道は柵門台のすぐ下で合流するが、人がひとりだけしか
通れない細い道の先には柵門が待ち受ける。

八王子城は高低差の利用による防御が築城の基本思想であり、
「戦国最後の山城」は、この深沢山の比高を活用した「階段状の石の
要塞」がその本質である。