八王子の景色   小宮曲輪                             [戻る]


小宮曲輪は要害部の北側を守るように高く長い曲輪で、山頂曲輪とは
尾根続きになっている。

小さな廃屋と1対の狛犬が見られるのは、以前ここに御岳神社が勧請
されていた名残りである。


国指定史跡 八王子城跡
小宮曲輪
狩野一庵が守っていたといわれている曲輪です。三の丸とも一庵曲輪
とも呼ばれていました。
天正十八年(一五九〇)六月二十三日に上杉景勝の軍勢の奇襲にあい、
落とされたといわれています。
                              八王子市教育委員会

(八王子市教育委員会の説明板より)

戦国時代の関東では「三の丸」という呼称はなかったのではないか。
また、山頂曲輪(本丸)との高低差からすれば小宮曲輪が「二の曲輪」、
松木曲輪が「三の曲輪」とするのが妥当ではないかと思うが、説明板
ではその逆になっている。







東側は展望が開けていて、ハイキング道を登てくる誰もが足を止める
好展望地はこの直下にあたる。

小宮曲輪の東側ある腰曲輪は、高丸から中の曲輪へと抜ける登城路
に対して上から攻撃ができる仕掛けになっている。






















廃屋となった御嶽神社の社殿は薄気味悪いが、往時の写真を見ると
立派な外観をしていて、都内などから講を組んで、多くの人々が参拝
に訪れたという。

八王子城合戦の際、最後に残った要害部で北条方はよく防戦したが、
上杉景勝の軍勢が小宮曲輪の北側斜面から侵入して建物に放火を
したことから要害部の守備が崩れて落城につながったという。

「小宮曲輪」は、滝山城にも存在している。
あきる野市近辺を治めていた小宮氏が北条家臣となったことにより、
その名を留めていると思われる。
滝山城では大手口をを守備する滝山城最大の曲輪であり、八王子城
ではやはり要害部の重要な位置を占めている。