八王子の景色   出羽山城跡(1) -概要-                     [戻る]


城山手という新興住宅地の東端に「出羽山公園」がある。
雑木が茂る小山に散策路が整備されていて、そこを登っていった先の広場
に東屋や展望を楽しめるスペースが設けられている。

公園には「出羽山公園」という名の由来を書いた説明板はない。
中世城郭研究家の中田正光氏は、著書『戦国の城は民衆の危機を救った』
の中で、この地をを出羽山城としている。

出羽山という山には城郭遺構が残っていて、現在は公園としてきれいに
整備されている。この出羽山の城郭遺構に関しても確かな史料がなく、里伝
に頼る以外にない。

出羽山の主体者が誰だったかということについて無理にあてはめる必要は
ない。それよりも、この出羽山と称するところに城郭遺構が存在すること自体
が八王子城外郭防衛の緻密さを表している。

(いずれも中田正光著 NPO法人滝山城跡群・自然と歴史を守る会発行
『戦国の城は民衆の危機を救った』より)

出羽山は、その名称から、八王子城主北条氏照の家臣・近藤出羽守の屋敷
があったと推定されるが、八王子市館町の浄泉寺城も近藤出羽守の屋敷地
に比定されている。






出羽山城は住宅地の端にポツンとある小山で、比高も低いため防御が脆弱
という印象を受ける。

だが、私が子どもの頃にこの附近を友達と探検したことがあり、その当時は
現在の城山手の住宅地の場所は、田んぼや湿地が広がっていて、奥には
進めずに引き返した記憶がある。

今も城山手の最奥部に公園があり、そこにある池は谷戸から湧き出す清水
を溜めるようになっている。
出羽山城は谷戸から流れ出する清水を利用して、周囲に湿地帯を巡らせて
防御に利用していたのではないかと思われる。

公園整備に伴う改変により、城郭としての遺構はわずかに残るだけだが、
八王子城との関連において、重要な場所であったことは間違いない。

出羽山城の主郭からは八王子城が間近に見える。