由井別当宗弘館跡 [戻る]
文武天皇の御代(飛鳥時代)、朝廷に献上するための馬を飼育する勅使牧
が全国に置かれ、武蔵国には、「立野牧」、「由井」牧、「石川牧」、「小川牧」
の四牧が置かれた。
この由比牧を管理する別当(長官)として、京から赴任したのが由比宗弘で
あった。
由井宗弘館址
由井宗弘、武蔵七党の西党に属す。高魂尊の後胤日ノ内大夫西宗忠の舎
弟。宗弘が武蔵別当として由比野に現れるのは天長三年(826)甲斐・武蔵
の両国に各主当(別当)一人を置いたときであろうとされている。
由井氏の館址とされている場所は、報恩寺(現・観音堂)を中心に背後丘陵
の平坦地、通称由井山または二分方山と呼ぶ。由井牧(由比野)に放牧され
ている馬を監視でき、外敵の侵入も一望できる絶景の丘陵地である。
(とんとん健康散歩の会『とんとん健康散歩道 第57回』)
館址には、戦国時代の天正2年(1574)に報恩寺が創建され、現在はその
後に再建された観音堂だけが残る。
館址は丘陵の中腹にあり、敷地は切岸状になっていて観音堂に上がる石段
は切岸の地形を崩して造られている。
館址に建つ小さな観音堂。
背後の丘陵には平場があり、建物などが建っていたと考えられる。
丘陵上には中世城郭様の遺構が見られ、中田正光氏は、この城郭遺構を
「由井城」としている。(中田正光『村人の城・戦国大名の城』)
(下写真左)
館址の一角には、湧水が溜まった池が見られる。
水が確保できる地は館を構える際の重要事項である。
(下写真右)
館址から由井野を見る。
館址のやや高い位置からは、馬が放牧されている由井牧を一望すること
ができる。
由井牧別当が住む場所としては理想的な場所であろう。