八王子の景色   侠客関東綱五郎住宅跡                                [戻る]


侠客 関東綱五郎住宅跡と刻まれた碑が建っている。
場所は高尾町の落合という甲州街道沿いの住宅地だが、
電柱の陰にあるのであまり目立たない。

明治初年 清水一家を離れ故郷に帰り住居を此処に定め
数年後に菩提寺大光寺の庫裏として移し 今日現存す
尚墓地は此処より西南0.5kmの丘にある
           多摩文化研究会会長 持田治郎建之
                       妻 持田ツネ(実孫)


碑の裏にはこのように書かれている。

清水次郎長の名は知ってはいるが、どのような人だった
のか、正直なところよく知らない。
まして、この八王子にその子分となった人がいたとは。

なお、この近くには「関東綱五郎墓の跡」の石碑がある。
墓は、現在高尾駅近くの大光寺の墓地に移されている。
この大光寺の庫裏は、この石碑に記載されているように、
この地にあった「関東綱五郎住宅」を移設したものである。













持田治郎氏は多摩文化研究会の会長として、八王子の
歴史・文化に多大の貢献をされた方であり、数基の石碑
を市内に建てている。
持田治郎氏の奥様が関東綱五郎の孫にあたるというが、
これは、高尾山の二軒茶屋での出逢いから始まって、
二人が結ばれたという話を、何かの本で読んだ記憶が
ある。