困民党指導者 塩野倉之助屋敷跡 [戻る]
川口川に架かる唐犬橋の近くに 塩野倉之助屋敷跡が残る。
困民党指導者 塩野倉之助屋敷跡
所在地 八王子市川口町一八八〇番地(元・南多摩郡川口村唐松)
明治十四年(一八八一)、松方財政によってインフレからデフレに急変し、
くわえて関東の養蚕地帯は、生糸の暴落で激しい打撃を受けた。
一七年(一八八四)、困窮した農民は、困民党を結成して立ち上がった。
多摩の北部の農民は、下川口村唐松の豪農塩野倉之助に助けを求め
た。塩野家は油屋と呼ばれ、主倉之助は義侠心に富んでいた。塩野は、
村の町田克敬に借金証文の整理を頼み、近郷の同志とはかって金融
会社と対立した。官憲はこれを抑えるために町田を捕え書類を押収した。
九月五日、二一〇余名の農民は西中野村の明神山に集結し、塩野を
先頭に八王子警察署に押しかけて解決を迫った。だが、全員逮捕され、
塩野ら指導者は裁判にかけられ、獄窓につながれた。
ここ塩野屋敷跡は、多摩北部の困民党の拠点であったが、昔の景観は
今はない。ただ傍らに残る社が、当時の縁となるだけである。
多摩文化研究会 沼 謙吉
一九八四年九月五日 塩野倉之助屋敷跡保存会建之
広大であった屋敷跡は住宅や駐車場になってしまい、見る影もない。
屋敷内にあったという御嶽神社だけがわずかにその痕跡だろうか。
御嶽神社の敷地に建てられた「塩野倉之助屋敷跡」の碑と前掲の
説明板だけが、義侠心に富んだ倉之助を称えている。
(写真) 困民党指導者 塩野倉之助屋敷跡」の石碑と御嶽神社