大久保石見守長安陣屋跡 [戻る]
小門町の産千代稲荷神社は大久保石見守長安陣屋跡地である。
甲斐武田家の猿楽師の子であった長安は、武田氏滅亡後甲斐に
入国した徳川家康にその才能を見いだされ、家康の重臣・大久保
忠隣のもとで数々の重職を任され、異例の出世を遂げていく。
大久保石見守長安陣屋跡
大久保長安は武田信玄に仕え、武田氏滅亡後に徳川家康に召し
抱えられた。
八王子城落城後、小門宿に陣屋を置き、関東十八代官、千人同心
を統括した。新八王子宿の建設をおこない、町を浅川の氾濫から
守る石見土手を築いた。また、街道の伝馬制や一里塚を整備した。
石見銀山、佐渡金山、伊豆の金山等の奉行となって増産をおこな
って、江戸幕府の財政基盤を作り、破格の昇進をとげたが、没後
に生前の不正が発覚したとして葬儀は中止。遺子は死罪となり、
財産は没収された。天文14年(1545)〜慶長18年(1613)。
神社は当時の邸内にあった社と伝えられている。
(八王子市教育委員会の案内版より)
「陣屋」とは幕府天領における政庁。徳川幕府初期の基盤作りを
財政面などで支えた功績は大きいが、大久保・本田の権力争いに
巻き込まれた、死と同時に生前の不正を指摘され粛清される。
子が全員死罪となり、半ば腐乱した遺体を墓から掘り出された上
斬首された長安の無念はいかばかりであっただろうか。
「大久保石見守長安陣屋跡」の石碑。