武蔵太郎安国鍛刀之地 [戻る]
元八王子2丁目のバス停「鍛冶屋敷」は、この地で下原刀を
鍛刀していた武蔵太郎安國に因む地名である。
その歴史を伝える碑が建っている。
市史跡 刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地
碑陰に次のような説明がある。
安國は武州下原鍛冶中興の人で、初め藤太廣重と称したが、
のち武蔵太郎安国と名のり、卜宥と号した。郷土を出て江戸の
刀匠大村加卜の門に学び師伝を継承し真十五枚甲伏作りと
副銘した。享保四年、その子幸蔵と共に将軍吉宗の上覧鍛冶
を務めたことは有名である。けだし新刀期の名工として大きな
功績をのこした。享保十五年(一七三〇)八月十九日八十一才
の天寿をまっとうした。
昭和四十六年四月一日 八王子教育委員会
下原刀の祖 周重 は、ときの領主大石氏の招きに応じて、
恩方辺名の地において下原刀の鍛刀を始めた。
大石氏から北条氏、そして徳川氏とこの地の支配者は
代わっていったが、下原刀はこれら領主に庇護されながら
鍛刀を続け、その系統を広げていった。