口留番所跡(関場) [戻る]
上恩方の関場にはその名の通り関所(口留番所)があった。
この附近は、左右に山が迫り、案下川が流れる狭隘な地で、
この先には佐野川方面と檜原方面への道が分岐していて、
関所を置くのには絶好の場所である。
江戸時代の地誌「武蔵名勝図会」(片山迪夫校訂)には、
『上恩方小名高留というところにあり。村持ちゆえ村内にて警衛
せり。門并に番所ありて、柵を構えたり。土人地の名を呼びて
関場という。』と書かれている。
市指定史跡 口留番所跡
口留番所は、江戸時代甲州街道の裏街道(案下道)の重要な
交通要点として、治安警備等のため設置されたものである。
番所は村持ちで、村方三十六人が交代で勤務したという。明治
初年に廃止されたが、現在もこの地を関場と称している。
昭和五十三年五月三十一日 八王子市教育委員会
(八王子市教育委員会の解説板より)
番所跡には、「関場記」「松姫之碑」「金昇庵跡」などの碑が建ち、
近隣には、2棟の長屋門や中村雨紅ゆかりの宮尾神社などが
残る、歴史がや文化が豊かな地である。
関所趾の石碑が建っている。