八王子の景色   広徳館跡                                                             [戻る]


寺町の長心寺の墓地の石壁に、黒御影石の板がはめ込まれている。
墓地の案内板かと思ったが、そこには「広徳館跡」の説明が書かれている。

広徳館跡
明治十年頃、長心寺の境内地の一部に蟠龍館と称する木造二階建物があり、
現駒沢大学の前身たる曹洞宗大学神奈川支校として開校していたが、明治
十二年(一八七八年)末、横浜、八王子、五日市など中心に自由民権運動が
めばえ、各地で懇親会、演説会が開かれ、政社の組織化が急激に進められ、
自由民権運動が活發になって、明治十六年(一八八三年末)、八王子の有志
が共立会を創立し、東京から講師を招き、多摩講学会を開設していたが、
十二月に自由党の広徳館がこの地に開設された。林副重が館主となり、訴訟
の鑑定、代言人、弁護人の紹介、紛議の仲裁、諸文書の起草など八王子周辺
の自由党の活動の拠点となったところである。(八王子市史より)
     昭和三十九年十一月                  清涼山  長心寺


石坂昌孝や村野常右衛門が活躍した野津田(現町田市)、五日市憲法草案
を起草した五日市、そして八王子など、自由民権運動は多摩地区で非常に
盛んであり、自由民権運動の中心地であった。







広徳館について、八王子事典で調べてみた。
八王子広徳館跡
八日町。1883年(明治16)10月13日寺町2番地に開設。自由民権運動の自
由党の活動本部として開設されたもので、館主は林副重、世話人は石坂昌孝、
代言人は小林幸二郎があたった。星亨・北田正篭らを招き、法律講義などを
行ったのをはじめ、南多摩自由党会議等が開催された。85年10月寺町から
八日町に移転、97年4月の大火により焼失したと思われ、その後は再建されず、
翌年多摩自由党の活動本部は南多摩郡自由倶楽部が寺町に開設した蟠竜館
へ移行した。


蟠竜館
寺町。1893年(明治26年)12月3日創立。八王子広徳館の意志を継承して南
多摩郡自由倶楽部(自由党)村野常右衛門、小林儀兵衛神奈川県議、大平安三
八王子町長ら22人が発起人となり、寺町番場山の一角、長心寺の境内に開設
し多摩自由党の活動根拠地で2階建洋館造り。この日、この場所で自由党総裁
板垣退助らを招き、同倶楽部が発足式を行った。その後、1923年(大正12)9月
の関東大震災により焼失した。19年蟠竜館跡には寺町公会堂が建設されたが、
その公会堂も45年(昭和20)8月太平洋戦争で焼失した。

(以上 八王子事典の会「八王子事典」より)

この地に約2年あった広徳館は八日町に移転し、その後蟠竜館として再びこの地に
開設されたという。明治10年代にも蟠竜館があり、明治26年にも建設されたのか。
蟠竜館発足式に出席した自由党の板垣退助は、戊辰戦争で新政府軍を率いて甲州
勝沼の戦いに勝利、この八王子を通過して江戸城総攻撃へと向かったはずである。