八王子の景色   甲州街道 駒木野宿                                          [戻る]


甲州街道駒木野宿
と書かれた大きな碑が建っている。
碑陰には
昭和四十七年十二月十七日 日本紀行文学会
とある。

碑が建っているのは、かつて小仏関所があった場所。
小仏の関を越えたところが駒木野宿で、もう少し先に進むと
江戸から14番目の一里塚があったという。

碑の隣にはこんな説明文がある。
甲州街道概要
甲州街道は、江戸時代の五街道の一つで甲州を経て信州
下諏訪で中山道につながり、京・大阪へ通じる重要な街道
であった。
ここ駒木野は日本橋を西へ去ること約十二里の地点である。

    昭和四十七年十二月十七日
                         日本紀行文学会









先に書いたが駒木野宿の先にあったのは江戸から14番目
の一里塚である。
江戸から12番目、つまり12里の一里塚は、新町竹の鼻の
一里塚跡であるので、説明文の記載は間違っている。

中央の道が今はアスファルトの道となった旧甲州街道。
遥か先に見える山と山の間の落ち込んだところあたりが、
甲州街道の難所・小仏峠である。

右の碑があるところから写真の手前100m程は小仏関所が
置かれ、江戸への「入鉄砲・出女」を厳しく監視していた。

左に僅かに見える民家は、関吏であり、また幕末に、直亮、
直澄兄弟を輩出した落合家である。
小仏関所跡には、兄弟を讃える先賢称徳碑がある。