小仏関跡 [戻る]
裏高尾の旧甲州街道沿いに、竹垣で囲まれた一角がある。
その中に「史跡小佛関阯」の石碑が建ち、2つの石が置かれている。
小仏関所(国指定史跡)
小仏関は元は現在の小仏峠にあり、天正18年(1590)八王子城落城後、
江戸に入った徳川家康によって現在の地に移されたといわれています。
関所の役割は「入鉄砲に出女」といわれ、江戸に武器が持ち込まれること
と、大名の家族(奥方)が江戸から出ることを特に厳しく見張りました。
関所を通行するには通行手形が必要で、手形は村役人(名主ら)が発行
していました。また通行期間は明六つ(夜明け)から暮六つ(日暮れ)と
決められていました。
現在は公園になっていて、通行人が通行手形を置いた「手形石」、手を
ついて待った「手付石」が残されています。
(高尾駅南口 案内板より)
小仏関跡がある地区は「駒木野」であり「小仏」ではない。
「小仏関」は北条氏照によって小仏峠付近に置かれていたが、徳川家康
の関東移封後に「小仏関」の名を残したまま、この地に移された。
江戸時代は五街道の一つを守る重要な関所だったが、現在は大垂水峠
を越える新甲州街道が開かれたことにより、この道を歩くのはハイカー
位になっている。