堅叔庵跡 [戻る]
「石平道人」と名のった「鈴木正三」が庵を結んだ山。
その庵は「万松山 堅叔庵」という。
堅叔庵
同村(注:長房村を指す)中程にあり。右長泉寺持なり。万松山と
号す。本尊釈迦 木坐像。左右に厨子入り三衣の木坐像あり。一
体は石平道人の像なり。一体は道人の法弟子堅叔庵二世恵中
の像なり。仏間の額は鵞渓書「石平堂」の文字なり。次の間の額
は「堅叔庵」の文字 恵中書なり。開基石平道人 俗名鈴木九太夫。
姓は穂積、諱は正三と云。この庵室の後山に墳墓あり。石塔、
高さ五尺五寸許。表面に「石平道人」と銘し、裏に「明暦元乙未年
(一六五五)六月廿五日歿。恵中書」とあり。又、傍に石碑幷に銘
あれども、これは枚挙するに及ばず。故に略せり。この地は道人
終焉の地なるべし。
(植田孟縉著 片山迪夫校訂『武蔵名勝図会』)
昭和2年の多摩御陵設置の際に、堅叔庵跡があった山は陵墓地
の敷地に組み入れられた。
そして、石平道人の木像は長泉寺に、墓は同寺に隣接する地に
移設されているため、この山には遺構などはないと思われる。
武蔵陵墓地内から堅叔庵跡を見る。
「山」と呼ぶほどの高さではないが、どっしりとした印象がある。
近づいて見ると、少し見上げたところに平場があるのがわかる。
『武蔵名勝図会』の挿絵と比較してみると、ここに堅叔庵が建っていた
と考えられる。
そして、最上部にあった石平道人の墓は、ここから東に行った長泉寺
の近くに移設されている。