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小宮町の多摩川の対岸、昭島市の堤防上に赤く錆びついた列車の車輪
が2つ展示されている。
これは、太平洋戦争の終戦直後に八高線の多摩川鉄橋上で起きた列車
衝突事故の記憶を留めるために保存されているものである。

八高線列車衝突事故
太平洋戦争終戦からわずか九日目の昭和二〇年(一九四五)八月二四
日午前七時四〇分頃、ここ八高線小宮・拝島間の多摩川鉄橋上において、
上り下りの旅客列車が正面衝突し、少なくとも一〇五名の方々が衝突に
よる衝撃、あるいは多摩川の濁流に流されて死亡する大惨事が発生しま
した。日本鉄道史上でも有数の重大事故であるといわれています。救助
には、地域の警防団(現在の消防団の前身)や住民があたりました。
この事故は、折りからの豪雨の中で発生したもので、犠牲者の多くは終戦
とともに故郷に向かっていた復員兵や疎開先から自宅へ帰る人々でした。
鉄橋付近から発見された二対の車輪は衝突車両のものと思われ、事故を
後世に伝えるため設置しました。
  平成十六年三月
                       昭島市・昭島市教育委員会


(説明板より)





単線の鉄橋の上で、蒸気機関車が牽引する列車が同士が通常走行する
スピードで正面衝突するという有り得ない事故が起きてしまった。

当時は数日間降り続く雨の中で、駅間の連絡が途絶えてしまい、小宮駅
の駅長の判断ミスによって、区間内に上下2本の列車が進入したという。

豪雨によって増水した多摩川、鉄橋の上という特殊な場所、衝突による
衝撃で破壊した機関車や脱線した客車など救助を阻み、危難ばかりが
増す現場では、乗客の救助も困難を極めたことだろう。

戦争による危難を乗り越えて終戦を迎えた人々が、思いもよらない事故
によって命を失うという悲惨さだけが残る。

猛暑の中、多摩川に架かる鉄橋の上を八高線が通り過ぎていった。












事故を伝える説明板