浜街道の一里塚の榎 [戻る]
幕末のペリー艦隊の来航の目的のひとつは日本の開国であった。
安政5年(1858)の日米修好通商条約により4港が開港した。
なかでも横浜は全貿易額の9割を占める飛び抜けた存在となった。
開国当初の日本の輸出品は主に生糸であったが、生糸は八王子に
集められ、八王子から横浜へと運ばれていった。
その生糸を運んだ道が「浜街道」である。
鑓水の絹の道資料館近くに立つ榎は、浜街道の一里塚と伝わる。
ここは浜街道の起点から一里に当たる場所である。
伝一里塚の榎
絹の道資料館前の道をそのまま下り、80メートルほど先の右手の
崖にせり出した塚状の地に、一本の榎(えのき)が立っています。
かつての一里塚の跡とされ、現在の八王子市街中心部にあたる
甲州街道八日町交差点を起点としてちょうど一里(36町=約4km)
の地点です。江戸時代に、榎は一里塚によく植えられ、今の榎は
二代目であると言われています。
(八王子市東南部環境市民の会『ハイキングマップ 「絹の道」歴史
探索コース』より)
車道の脇の崖に突きだすように立つ榎。
枝の広がりから樹勢が強いことが感じられる。